【『ソマリと森の神様』感想】とある親子の成長記録が持つ魅力について

©暮石ヤコ/NSP/ソマリと森の神様プロジェクト, mixer


原作 暮石ヤコ『ソマリと森の神様』
監督 安田賢司
シリーズ構成 望月真里子
キャラクターデザイン 伊藤郁子
サブキャラクターデザイン 大橋幸子、田中穣、吉川美貴
美術監督 ニエム・ヴィンセント
色彩設計 中村千穂
音楽(劇伴) 吉俣良
音楽プロデューサー 山岡晃
音響監督 濱野高年
音楽演出 佐藤恭野
音響効果 出雲範子
アニメーション制作 サテライト、HORNETS

 2020年1月期のアニメもまた面白い作品がたくさんあったけれど、その中でも特に(私の観測範囲では)本作があまり話題になっていない印象があるので、改めて多くの人に知って欲しくて感想を書くことにした。「面白い」「旅モノ」「泣ける」くらいではとても言い表せない魅力を持っている作品なので、ちょっと長いけどお付き合いいただければ幸いだ。

どんな作品?

 人間の子供「ソマリ」と森の守り人「ゴーレム」が一緒に旅をする中で、いろんな種族との交流が描かれているファンタジー作品。同じ時期に放送されたアニメ『異種族レビュアーズ』を比較するとわかりやすいけど、本作はかなり「差別」について踏み込んだ内容になっている。異種族と交流する中で、差別や迫害なんかと向き合いながら成長していく親子の物語、という感じだろうか。
 雰囲気的には『メイドインアビス』を彷彿とさせる作品だけど、テーマ的に近いのは『プラネット・ウィズ』かな、って思った。ロボアニメじゃないよ。

ゲストキャラと親子の対比で描かれる心情描写

 主な登場人物であるソマリ(CV.水瀬いのり)とゴーレム(CV.小野大輔)だけど、三ツ星カラーズもニンマリするくらいガキンチョしているソマリに対し、ゴーレムさんは表情筋も顔のパーツも持っていない(辛うじて口はある)ので一切の感情表現が無い。声も抑揚がなく平坦。心情を描くのが非常に難しいキャラクターになっている。
 本作の巧みなところは、旅先で出会うゲストキャラを通じて対比的にゴーレムの心情を描くという婉曲表現を駆使している点。感情を直接表現するソマリと同じくらいゴーレムの心情が伝わってくるので、ソマリに感情移入して泣いたのと同じくらいゴーレムに泣かされる羽目になる。
 ゲストキャラのキャスティングがすごく豪華なのは、彼らがゴーレムの代わりに泣いたり笑ったりする役目を負っているからなんだよね。そう考えると、本作のゴーレムって感情表現豊かなキャラなのかもしれない。

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魅力的な音楽、背景

 本作に初めて触れたとき、最初に目を引いたのが背景美術。「良い背景=写実的な背景って思われがちだよねー」と言う話をよく聞く昨今において、本作の背景は柔らかいタッチかつ幻想的な色彩で描かれていて、ひときわ異彩を放って見えた。扱うテーマの厳しさとは裏腹な柔らかい雰囲気が、本作の根底に流れる「優しさ、暖かさ」のようなものを象徴していてメチャクチャ良い。
 また劇伴もこの雰囲気をより強調している。本作の劇伴を担当した吉俣良さんは邦画やCM音楽等で活躍する人。それ故なのか、本作の劇伴はアニメ作品としては結構前に出ている感じで、ソマリやお父さんの心情に寄り添った優しい音色の音楽が多く、すごく感情移入しやすい作品に仕上がっている。皆んなも聴いてね。



各話を振り返りながらの感想

 以降、大まかに時系列順で振り返っていく。ネタバレしてるので初見さんは良きところで切り上げながらアニメを観てみてね。

OPに見るゴーレムの成長


オープニング主題歌 森山直太朗
「ありがとうはこっちの言葉」
作詞 御徒町凧 
作曲 森山直太朗
編曲 河野圭

 

 「なんなんだろう、この胸のもやもやは」から始まる印象的なOPは、子供なんて育てたことのないお父さんの、戸惑いの心情が描かれた「ソマリのお父さんのうた」なんだよね。
でも実はこの歌、もうちょっと未来のお父さんが主体になっている。1話時点で描かれているお父さん像とOPのお父さん像が結構ずれている、というのがポイント(例として「ありがとうは高知の言葉」で描かれている心情と、1話の「ありがとう」→「感謝は不要だ」という会話をするお父さんを比べると、1話のお父さんはやや冷たい印象)。
 アニメを最後まで見進めることで「もうちょっと未来のお父さん」を知ってしまうと、平静を保ちながら歌詞カードを読むことができなくなってしまうくらい素晴らしい歌詞なので、完走組はぜひフルバージョンを聴いて打ち震えたらいいと思う。


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OPより、本作における最も印象的なカット。

二人はどういう関係なんだっけ?

1話 脚本:望月真里子 絵コンテ:安田賢司 演出:佐藤英一
2話 脚本:望月真里子 絵コンテ:安田賢司 演出:野崎真代

 1話から2話にかけて、ソマリとお父さんの関係性や大まかな世界観が描かれている。
 世界観的には「優しい世界でありながら、ちょっと残酷」みたいな感じ。森人の在り方について、とか人間の末路について、とか。1話を見ると、人間=悪いやつ&異種族たち=一般人という感じで描かれているのが印象的。
 で、ゴーレムにとってソマリがいかに特別であるかが1話で分かる。ちゃんとソマリのことを見て、時間をかけて理解しようと努力している様は微笑ましく、既にパパみに溢れている。
 あと「それにしても子供というものは、どんだけ自由なんや・・・」が丁寧に描かれている。落ち着きがなく、動くものすべてに興味を持ってしまう様は『三ツ星カラーズ』とか『ふらいんぐうぃっち』とか思い出すよね。2話の「食べながら寝るソマリ」がめっちゃ好き。
 そんな2話は、ぶっちゃけソマリはゴーレムのことを、あるいは、ゴーレムはソマリのことを内心どう思ってるの?という回。
 特にソマリがゴーレムのことをどう思ってるのかをゲストキャラであるヤバシラ(CV.鈴木達央)が優しく引き出してくれる流れがとても良く、ある意味この4人でようやく完成される感じがある。なんせゴーレムさん不器用だから直接言えないことばかりなんだよね。だから(今後も)ゲストキャラとのやり取りがすごく重要であることが2話のやり取りで分かる。
 ところで、かっこいいお兄さん声優といえば!っていうくらい鈴木達央さんが好き。あと松風雅也さん、石川界人さん。

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1話より、市街。音楽も素敵


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2話より、子鬼の住処

旅を急ぐパパと、ずっと一緒にいたいソマリ

3話 脚本:望月真里子 絵コンテ:安田賢司 演出:ヤマトナオミチ
4話 脚本:望月真里子 絵コンテ:安田賢司 演出:三浦慧

 自身の都合から旅を急ぐパパと、そんなパパを見たソマリが「もし旅が終わったらどうなるんだろう?」と思い悩む話。
 路銀をもらうゴーレム。仕事に勤しんでソマリのことを全然かまってくれないゴーレム。「ソマリの目線で見た、旅路を急ぐ父の姿」の描き方がすごく丁寧で、その後の「寂しくて泣いちゃうソマリ」のシーンがとても辛く、映えている。「ソマリ・・・ちがうんだよ・・・そうじゃないんだよ・・・」って言いながら泣いた私のような人も多いと思う。
 3~4話のゲストキャラであるキキーラ(CV.小林ゆう)が魅力的なのは「ソマリちゃうねん」という(私みたいに)パパ側に立った視点でソマリを諭すのではなく、「パパと一緒にいたい」というソマリ側の視点で「よっしゃ!願い叶えたろ!」と歩み寄ってくれたところ。友達想いで向こう見ずな性格のキキーラならではのシナリオ。
 そのキキーラの父(CV.関智一)も凄く良くて、ゴーレムパパと同じ目線でゴーレムに歩み寄ってくれている。内心は不安しかないゴーレムの本音が垣間見え、4話ラストの和解に繋がっていく。
 「ずっと一緒にいてくれる?」「ああ、ずっと共にいよう」のシーンは、影が差すゴーレムの表情やソマリの持ち帰った夜覚めの花が映る演出が悲しい結末の暗示になっていてすごく良かった。悲しいなぁ。

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3話より、土の下の者たちの世界


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4話より、ツチアミの木と夜覚の花の群生地。4話は背景が特に魅力的
  

家族って?

5話 脚本:永井真吾 絵コンテ:安田賢司 演出:大久保朋・野崎真代
6話 脚本:永井真吾 絵コンテ:安田賢司 演出:岩田義彦

 か・・・ゆ・・・揺蕩いの鳥。冒頭はソマリとキキーラの別れのシーン。キキーラとは旅が終わったらまた会えるから大丈夫だし、ゴーレムとはずっと一緒って約束したから大丈夫、だってさ。つらい。
 5~6話のゲストキャラは早見沙織さん、小野友樹さんの親子。本当の親子じゃない二人の関係を掘り下げながら「親子の間に嘘があったとして、それが親子でなくなる理由になるのか」「嘘が親子の形を変えてしまうものだったとして、その責任はいつ取るべきなのか」という問題に苦悩する様を描く。おのゆーパパが苦悩しているところにゴーレムパパが相談に乗っているように見えて実はゴーレム自身の苦悩を描いているという婉曲表現が印象的。「最後まで一緒に生きる」という選択をする二人の後ろで、ゴーレムさんは内心グチャグチャなんじゃないかな。
 それにしても感情を爆発させるはやみんの演技が凄まじい。自分がなんとかしなきゃ!という必死さ、一方で残酷になりきれない自分への悔しさ、そしてハイトラを救えない悲しさが一気に爆発してて、タオルのせいで画面見れなかった。

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 ラストは印象的な仮面のカット。ウゾイに対し罪悪感を抱きながら生きてきたハイトラにとって世を忍ぶ姿としての仮面が放り出されることで、初めてウゾイに本当の気持ちを明かしたハイトラという演出は、仮面=ペルソナの暗示なのかな。そう考えると「まるで能面みたいな顔をしたゴーレム」もある意味ペルソナの暗示だよね。いつか本音を言えるといいね。

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5話より、今週の横穴。

「私達は分かり合える」というメッセージ

7話 脚本:望月真里子 絵コンテ:和田純一 演出:小高義規
8話 脚本:望月真里子 絵コンテ:和田純一 演出:名和宗則・安川央里

 各話の中で唯一、安田賢司監督ではなく和田純一さん(すかすか、Caligula監督)が絵コンテを担当した話。ちなみにOPの絵コンテも和田さん。あー!いけません!開幕からパパにブーメランが刺さっています!
 人間の子供を持つ親としてハイトラに共感するゴーレム。自身の感情に向き合い始める様子を見ると、OPの「なんなんだろう、この胸のもやもやは」から随分成長してるよね。
 一方ウゾイとの別れを少し寂しがっているソマリ。キキーラとの別れと逆になっている。これもある意味成長、かな。
 この後さらっと流れているけど、森の中を旅するシーンの背景がとても綺麗。画集出ないんだろうか。

 8話の回想についてやや分かりにくい部分を整理すると、

  • 昔フェオドラさんっていう魔女がいた
  • フェオドラさんは若い頃人間と出会った事がある
  • 帰省後、フェオドラさんは図書館の館長になった
  • その人間の話を代々館長に口伝で受け継いでいた
  • X代目館長であるイゾルダさんが日記として本にまとめた
  • っていう話をソマリ親子に語った

で合ってるかな。
 回想で描かれる人と異種族の交流は、立場がソマリ親子とは逆のパターンで、二人がまだ経験していないもう一つの「異種族の側面」が描かれる。「人間は弱くて迫害されている可愛そうな種族、ってだけじゃないんだよ」というお話。
 幼いフェオドラ(CV.雨宮天)はソマリと同じくらい表情が非常に豊か。ただし悪い方で。ソマリがまだ経験していない「100%の悪意を向けられる恐怖を感じたときの表情」がめちゃすごい。本作を最後まで見ると分かるけど、ここで流れるBGMのチョイスが憎い。
 ある意味「人間から迫害を受けた当事者側であり、かつ人間への迫害を行った当事者でもある」という複雑な立場のイゾルダさんだからこそ「私達は分かり合える」というメッセージは強烈に聞こえる。本作における最重要テーマの中の一つだと思う。
 ・・・と同時に、「自ら人間であることを隠しながら今まで触れ合ってきた友達が、人間だとバレたら関係が壊れちゃうんじゃないか」というソマリたちの不安に対する答えでもあって、これまでの旅路を優しく肯定してくれる言葉になっているのが好き。まあキキーラはきっとソマリが人間だって知っても友達でいてくれるよね。しらんけど。
 あと、結局イゾルダさんは救われたのだろうか。ソマリに「あなたは、私達が怖いですか?」と尋ねたのは、もしかしたら断罪してほしかったのかもね。「ソマリは日記に登場した人間と同じ」とあえて言ったのも、ソマリを通じてすべての人間に対して問いを投げかけているようだった。でも最後、二人が手を触れ合うシーンは回想の中でフェオドラとミアが手を繋ごうとするシーンのリフレインになっていたことを鑑みれば、決して悲観的な最後ではないことが分かるので結果オーライ、かな。

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7話より、森を歩く二人。


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7話より、魔女の村。みんなも声に出して言ってみよう。「魔女印図書館」


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8話より、孤島から故郷を望む。

普通の親子

9話 脚本:永井真吾 絵コンテ:安田賢司・野崎真代 演出:野崎真代
10話 脚本:永井真吾 絵コンテ:安田賢司・平池芳正 演出:三好なお

 9話は2話以来のほのぼの回。ソマリ親子がめちゃくちゃ普通の親子をしている。
 「お父さん。ソマリ、お父さんがお父さんで良かった」で急に目頭が熱くなるのは決して視聴者の歳のせいではなく、この言葉の裏にある物語がいかに丁寧に描かれてきたかを端的に表していると思う。あとここで流れる音楽の威力がかなり高い。
 その後も本当に普通の親子みたいなシーンが続くんだけど、それが逆に良い。1話では全然親子って感じじゃなかった二人が色んな経験を経て「普通の親子」として描かれる9~10話はある意味これまでの集大成って感じがある。
 そして10話の前半は過去回。「今でこそソマリのパパとして自覚を持っているけれど、いつから自分がソマリのパパだと思うようになったの?」という話。

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 一番好きなのが、滝を背に会話する二人のカット。「一緒だよ!」と笑顔で語りかけるソマリと、左手から差し込む光、そして右手の暗い森。ゴーレムが右から左に歩み寄る演出が最高オブ最高。誰だよゴーレムのこと悟飯を甘やかすピッコロって言ったやつ。
 美しい背景は本作最大の魅力だと思ってるんだけど、特に10話はキービジュアルに描かれた森を中心とする話なので、最も背景美術が輝いている回だと思う。木の表現も土の表現も、小物のデザインも川の流れも全て美しいので何度でも見ちゃう。さらに言えば陽光の角度と陰影表現が本当に綺麗。音楽も相まって素晴らしい。

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9話より、切り株小屋。

「普通のおばあちゃん」と「差別」

11話 脚本:望月真里子 絵コンテ:安田賢司 演出:野崎真代
12話 脚本:望月真里子 絵コンテ:安田賢司 演出:安田賢司

 10話から引き続き、ゲストキャラは柴田理恵さん。え?マジで?ってくらい素晴らしい手腕を発揮してるので割と必見。
 7~8話で触れられた話がここで意味を帯びてくる。ソマリが人間だと知ったヤバシラがどういう答えを出すのか、という点もそうだけど、シズノはそれを知った上でカミングアウトしていることからすごくヤバシラを信頼していて、この関係性はまさにイゾルダさんの言葉が現実になった瞬間でもある。ヤバシラがイケメン過ぎて泣いた。
 本作の主題は色々あって、例えば旅を通じていろんな種族の住民と理解を深める話とか、親子の成長物語とかあるんだけど、大まかな主題としては「相互理解」というものじゃないかな、と個人的に考えている(もちろんこれに親子の成長物語も含まれていて、お互いに何を思っているのか、親に(子に)どうしてほしいのかを理解していく物語、という解釈)。その上で本作(アニメ)のラスボスが柴田理恵なのは、すごく重要だと思っている。
 で、本作の柴田理恵は簡単に言うと「普通のおばあちゃん」である。優しくて物知りで、子供の扱いが上手くて、他のコミュニティに属する者(本作における人間)に対して排他的で、狡猾で、臆病。悪者みたいに見えるけれど、非常にリアリティのあるおばあちゃん像が描かれている。そういったおばあちゃんキャラってほとんど見ないなーって考えると、柴田理恵が演じたことはすごく価値のあることだと思う。アニメの可能性がちょっとだけ広がった瞬間、は言いすぎだけど。柴田理恵の歌うわらべうたは割と必聴。
 そんな柴田理恵は自身の経験から「そうか、人間はこう扱うべきなんだ」という思想を持ち、何ら疑問を抱くこともなく今まで生きてきた。現実にも通じる「差別の根深さ」を端的に象徴しているキャラクターである(実際、「迫害」や「差別」という言葉を使うのも柴田理恵が最初だったりする)。それに対しソマリたちがどう対処するのか?というシナリオはこれまでの「相互理解」の文脈になぞらえていて、「ゴーレムによる柴田理恵の排除=人間の持つ排他的な性質の発現=相互理解の機会の喪失」という意味を持っている。また、「恐ろしい姿のお父さんと、それに恐怖するソマリ」は「異形の者を恐れ、排除しようとした人間」の暗喩でもあり、だからあのシーンでソマリがパパを止めることにすごく大きな物語上の意味があるんだよね。ソマリ、本当に大きくなったね(´;ω;`)

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12話より、川辺に佇むゴーレム。

ソマリ親子の今後(12話後編)

 柴田編のあとに続く物語は改めて「ソマリ親子の今後」の話。老いることのないゴーレムがどんどんボロボロになっていく過程で「今の自分がソマリにできることは何か?」とその都度思い悩む様はもう完全に「死を前にした親」そのもので、苦悩する姿には本当に共感しかない。
 ゲストキャラ、というほどでもないけど12話で登場するキャラに「孫を持つおじいちゃん」がいる。何気ないシーンだけど「人が死んだ後はどうなるんだろう?」という話の中で、いつものように「ぶっちゃけありえない!」と否定しているようで内心穏やかではないゴーレムの心情が垣間見える、ような気がした(ラストのセリフからも推察できる)。

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「他になにか欲しいものはあるか?肉か、砂糖菓子か」
「(笑)」
「どうした?」
「お父さん。過保護だぞ(笑)」
「・・・そうか。」

 クライマックスの会話は水瀬さん、小野大輔さん共に感情が爆発しててすごかったので楽しみにしててね。このシーンを見ると、今までゴーレムの声に全く抑揚がない演出だったのがメチャクチャ効いててヤバい。
 水瀬さんが自身のラジオ内で「(本番前の)テストの時点で感情移入しすぎて泣きながら演じてたので、本番もう一回テンション上げるのが大変すぎた」みたいなことを言ってたのが印象的で、話数をすすめる程にソマリとのシンクロ率がインフレしていく様は圧巻だったなぁ、と改めて思う。

EDに見るソマリの成長

youtu.beエンディングテーマ 水瀬いのり
「ココロソマリ」
作詞 水瀬いのり
作曲 櫻澤ヒカル
編曲 白戸佑輔

 EDはソマリを演じる水瀬いのりさんの作詞曲。水瀬さんがこの曲について「作中から10年後のソマリがおとうさんに向けて届けているイメージ」とインタビューで語っていることもあり、歌声にソマリの幼さは感じられない。
 ソマリが6歳くらいとすると10年後は16歳くらい。先のアニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』で水瀬さんが演じた牧之原翔子お姉さんがちょうどこのくらいの年頃なので、ああいう感じの優しいお姉さんに成長したのかな・・・とか思い始めたらつい涙が止まらなくなってしまった。だってさー!歌の中でめっちゃ優しい娘に育ってるんだよー?!
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普遍的な魅力は時代を超えて

 旅を通じて成長する親子の物語と言っても、そもそも論として「成長しない子供」も「子育てに苦労しない親」もあんまりいない。周りの人達に優しくしてもらいながら差別とは無縁の環境で大人に育った人だってむしろ少数派で。そういう意味でも本作は「普通の親子でいられること」がいかに尊いかを改めて思い知らされる作品だった。そして「差別をされた側がする側になってしまう悪循環」というありふれた、そして解決の困難な問題と改めて向き合う良い機会にもなった。個人的にはこのあたりが「この作品が持つ普遍的な魅力の中の一つ」だと思っている。
 故に、たとえ親子の定義が変わろうが、人種や文化が変わろうが、このアニメで描かれる様々な絆の形はその時その時の視聴者の目には魅力的に映ると私は信じていて、10年後であっても20年後であっても、現代の感性を持つ私が面白いと感じたように、その時代を生きる人がその時代の感性を持ってして「面白い」って思ってくれるんじゃないかな。そうだと良いな。